2017-09

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魔理沙をスープにするはなし

香霖堂の奥の棚に置いてあった重たいチョコレート色の表紙をした民俗学の分厚い本と、鮮やかなピンク色をした表紙の料理の本を、かご一杯のくるみと、うさぎ一羽とひきかえに貰い受けた。
台所で三本足の丸椅子に腰掛けて両方の本を交互に読む。焼いた骨を噛む風習と、さくさくとしていて苦かったという口述。焼いた仔牛の骨をミルポアという、香味野菜と一緒に煮込んでスープを作るというレシピ。
読み込むうちに午後が過ぎて、夕方になって字が薄暗がりに溶けて霞む。
は、と顔を上げて、引きこまれていた自分に気がつく。
深く、息を吐いて流し台の上に乗せた骨壷を見た。

つ、と足先を床につける。知らず足先は椅子の足元を支える輪に載せていたから、ずっと曲げていた膝がぎちりときしんだ。
立ち上がって、スカートを揺らして流しに近づく。重たい陶器の蓋を開けると、真っ白な骨がすかすかの佇まいで中にてんでんばらばらにおさまっていた。
中の骨には肉などかけらもついていない。白くてかさかさしていて乾いていて、とても料理の本の挿絵に載っているようなおいしいスープの出そうな佇まいではなかった。

玉ねぎ、人参、セロリ、パセリ、セージ、ローリエ。料理本に並べ立てられていた材料の名前を頭の中で数え上げる。
臭みを取るためのローズマリーはいらないわね、と苦笑して骨を指先で触った。手荒く扱えば粉になって崩れそうなほど固く焼き締められた骨。

人間の骨。
じっと眺めていたら軽く頭痛がしてきた。
文字に没頭しすぎたせいで頭が疲れているのだと経験則で判断して、青い色をした箱を開けてチョコレートをつまむ。ミルクの味がする薄い、薄い正方形のチョコレートだ。1枚つまんで蓋を閉めて、箱に箔押しされた銀色の文字をぼんやりながめながらふとまたふたを開けて残りの数を数えてしまう。
魔理沙のくれたチョコレートだ。それが、あと、12枚。

あと12枚。

夕陽の最期の輝きが脳髄にしみるほど眩しくて目を閉じる。それでも眩しくて窓に背中を向けて、ふと目を開ける。
床の上に黒々と自分の影が落ちていた。
ひとりきりの影。
どうにもやさしいめまいがした。
両手で顔を覆う。指の隙間をつめて。まぶたも口もしっかりと押さえて。顔中をふたつの手のひらで覆ってしまう。

魔理沙はいつまでも年をとり続けた。
皺に覆われて軽くなった手が自分の手のひらを押さえたことを思い出す。
おとといの夕方だった。同じように眩しい夕方で、流しの上の窓にカーテンを付けることを考えながら晩ご飯のオムレツに混ぜる彩り野菜を刻んでいた私の手を、包丁を持った右手を、野菜を抑えていた左手を、かつてより軽くなった手がそっと押さえて静止させた。
17の成長期を経て私より背が高くなった魔理沙、ふわふわと長い銀髪をまだ昔と同じように結っている魔理沙が私の項にかわいたくちびるを寄せてくるのを受け入れた。
老人特有の蜜蝋のような香りが鼻腔に届く。溶けた蝋のような、古くなって傷んだ本のページから香り立つような、ひそやかで粘性のある香り。
何も言わなかった。
何も言えなかった。
そっと魔理沙の歯が私の首筋を食んだ。私のいつまでも変わらない肌を。
なにか、言葉を考えた。口に出せる言葉を。
けれど思い出に押し流されて、別れの予感に踏み潰されて、憐憫の情に苛まれて、愛しい気持ちに引き裂かれて、何も。
尽くせるような言葉はもう尽くしてきてしまって、私達の間にはもう何もなかった。
魔理沙の息が喉元をくすぐって胸元に落ちる。

ずっとまほうつかいになりたかった。

何十年も前に聞いた言葉をもう一度脳内に聞いた。
テレパシーのように。

ずっとおまえが

テレパシーが途切れてあなたは私から離れた。静かに。
スカートの衣擦れが遠ざかるのを、まな板に両手をついたまま聞いていた。
あなたは右の臼歯で私の肌を噛んだ。穀物をすりつぶす草食動物の歯で。
肉を裂く犬歯ではなく、決して肌の内側まできりこめないやさしい歯で。

その2日後の朝、隣でうつぶせのままいつの間にかあなたは消えた。
起こそうと思ったらもう息をしていなかった。冷えて固まっていく魔理沙をどうしたらいいのか迷いあぐねて、布をかぶせて人間の里に行った。
慧音はやさしかった。火葬場まで案内してくれて、どうすればいいのかを教えてくれた。
霧雨の娘たち息子たち孫たちは、突然の訃報に戸惑いながらも彼女のために涙を流した。
骨を霧雨の墓に、と請われたが、なんでも何日か過ぎないと墓には納められないらしい。
預けられた骨をどうするか。
壺は空にして返すと最初から決めていた。

骨を台所において居間で眠った。ベッドに入る気はしなかった。
ソファーで眠れない目を見開いて、天井を眺めながらずっと、骨について思いを巡らせた。
スープにしようと思ったのは今朝だった。少し、眠ってから、本と引換にするためのものを捕りに森へ行った。
蓬莱を使って罠に追い込んだ若いうさぎと、人形たちを総動員して集めた一番大きなかごいっぱいのくるみ。
焼いた骨をスープにしたいの、と香霖堂の主人に切り出すと、少し考えて奥の棚から二冊の本を出してきた。
それをうさぎとくるみと替えて、まだ肌寒い朝方の道を朝露で靴を濡らして帰った。
昼が過ぎたのにも気が付かないで読み込んでいた。骨食みの風習や本の中の、妙蓮寺と同じ流派らしい、仏教の葬送のセレモニーの雰囲気。のめりこみながら思い出した、火葬の前に行われた通夜だの告別式だの、馴染まない名前の静かすぎた葬儀の空気、ぞっとするほど寂しい線香の香り。不可思議な風習。菊の、まるで薬のような香りで息が詰まったこと。仔牛の骨を煮込んで作るフォンドボーという名前のスープ。それを使った手の込んだ料理。あれこれが頭の中でスプーンであらかじめかき回した紅茶にミルクを落とした時のように混ざり合う。

舌の上でチョコレートが溶けて唾液と混ざる。くどいほどに甘い味。思い出す。脈のなかった手首。冷たさ。骨のわかるか細さ。皺の寄って骨に貼り付くように薄く、なめし革のように茶色味を帯びてしなやかになっていた肌。脂肪を失って筋ばかりの腕。固く、固くなっていた腕。早くなる自分の息が、あたたかく弾力のある肌にあたって自分の顔にはねかえる。熱い息。

あなたはいなくなる。

忘却を怖れて手繰り寄せた昔の記憶がすでに朧気になっていることに気がついて一層自分の両手に顔を埋める。

あなたはいなくなった。

嘘だ。と自分が言う。嘘じゃないわ、と私が言い返す。そうよ、と理性が加勢する。違うわ!と感情がヒステリーを起こす。
だけど、とすでに頭の中にいる結論が言う。
魔理沙は死んでしまったわ。
そうよ、と荒くなる息を押し殺す。魔理沙は死んでしまった。人間として。人間のまま。年老いて。こんなに軽い骨を残して。

目を開く。
両手を外す。
床の上に私ひとりの影が真っ黒な色をして伸びている。どこまでも。壁につながり、先は暗闇に溶けている。
あなたを悼むためにスープにしようと思った、その気持を取り戻す。
咲夜よろしく真っ白なエプロンをつけた。後ろでひもをきりりと結ぶ。
魔理沙の骨を抱えた里からの帰り、リグルに金貨を一枚払って虫の知らせを依頼した。
加えて、人の噂の足も速い。明日の朝方にはきっともうあなたの訃報が幻想郷中で飛び交っている。
爪先立って壁に下げてあるセージとにんにくを降ろす。庭に出てパセリをエプロンいっぱいに摘んでくる。戸棚を開けてタイムの瓶をとる。蓬莱が人参と玉ねぎのどろを落として刻む。上海が湿地から香の強いセロリをとってくる。乾いたローリエを瓶から取り出してまな板の上に並べる。
肘がぶつかりそうな場所に唐草模様のあなたの骨壷がある。
夕陽が最後の輝きを台所に落として消えていく。ランプに火を入れるとあかるい光があなたと私を照らした。

小さな花束を作るように葉は外に、きれいにまあるくまとまるようにハーブを束ねて、いくつもいくつもブーケを作る。
菊や百合より香りの強い、あなたを美味しくするための私の献花。
束ねたハーブを人形たちに渡して、ブーケに思い思いのリボンをかけさせる。
その間に、刻んだにんにくと玉ねぎに人参、セロリを鍋の中でじっくりと炒めて色づける。
次は、と考える私の前で上海が料理の本を開く。薄い、お菓子のようなピンク色に白で風になびくリボンのような文字が踊る、絵本のような本に描かれた、冒険譚にも似たスープの作り方。
私は鼻歌を歌いだす。足取り軽やかにまな板と鍋の間を行き来する。
ワルツのターンのように肘をはっておたまでスープの表面をくるりと愛撫してあくを掬い、タンゴの足取りで流しに向かう。

海を探したこと、温泉に向かおうとして迷子になったこと、パンケーキに蜂蜜かメープルシロップかで喧嘩をして一週間口をきかなかったこと、神社ではち合わせて気まずかったこと、そうしたら霊夢がパンケーキに甘いものをかけるなんて邪道、あれはあれだけでも十分に主食、なんてことを言い出して二人で笑ってしまったこと、冬に魔理沙の家に泊まったら煙突がちゃんと塞がっていなくて夜中に煙突から雪の塊が落ちてきて飛び起きたこと、暖炉の前で吸血鬼の食欲と脳科学について議論したこと、にとりの実験道具を『借りてきた』あなたが私の家で爆発を起こして、だけどあっけにとられすぎて怒るより先にお腹が痛くなるほど笑ってしまって、それに調子に乗ったあなたに腹を立てて思わずグリモワールで叩いてしまったこと。
そして、たくさんのキスと抱擁。いくつもの夜。いくつもの朝。いくつもの真昼。いくつもの夕暮れ。

泡が弾けるのと同じ速度で思い出が巻き戻っては私を取り巻く。幸せな湯気の魔法。金色の、あなたの髪と、あなたの魔法と同じ色のスープにぱらりと塩をふる。
くつくつとおいしい匂いを振りまいてあなたの骨が鍋の中で踊る。
すっかりぐずぐずに蕩けさせてみえなくなるまであなたの骨を私は煮てしまう。
途中から角切りにしたじゃがいもを足して、きゃべつを足して、吸血鬼には文句を言われるようなおいしいおいしいスープに仕立て上げる。

翌朝、湯気の立っている鍋を毛布で丁寧に包んで、温みを抱きしめて紅魔館へ向かった。
あなたの最期につかっていた毛布。顔に風が当たるのを避けるためにうつむいて胸元に抱きしめた毛布に顔を埋めると寝起きのあなたの匂いがした。

門番は門を開いて待っていて、私が降りると、門を放棄して私と一緒に館に向かった。
玄関には咲夜がいて、私から毛布ごと鍋を受け取った。
静かに頭を下げる仕草に、やっぱりわかっていたのね、と思って微笑んだ。
「温め直すのに少しお時間を頂きます」
「そうね。それに、朝食と言うよりは夕食にしたいの。内輪だけの晩餐会と思って。」
「ええ」
短い会話の後、大図書館に降りる。
パチュリーは私の方を緩慢に向いて、今晩ね、と念を押す調子で尋ねた。
ええ、と私は小悪魔に上着を手渡して頷いた。
どこからともなく咲夜が現れて引いてくれる椅子に腰掛ける。
「妹様は大丈夫かしら」
「お嬢様からお聞きになられて……非常にはしゃがれて寝かしつけるのに今朝は苦労しました」
「悪いことをしたわね」
咲夜の淹れてくれた紅茶が昨日のチョコレート以来何も食べてない胃に落ちていって、ああ、と内臓の存在を実感した。
夕方まで紅魔館の台所でスープは煮詰まる。より濃厚に。よりおいしく。ほっぺたが落ちるほどまろやかに。

「そういえば本を返してもらわなきゃね」
「あら、結構取り返したんじゃなかったかしら?ほら、魔理沙がうちにきて咲夜に捕まってる間に妖精メイドを総動員して取り返した時があったじゃない」
「あの時ね!間違えて魔理沙の本まで図書館に持ち帰ったんでしょ?帰ったらうちに何もなかったって」
「天狗が写真を撮りに来てたわよね。本当にあれだけ散らかってた家になにもなくって!いなごにでも襲われたみたいだったわ。笑えるほどすっからからんで!すごかったわよねえ」
「おねーさまはくだらない本が増えたって嫌な顔をしたわ」
「当たり前でしょ!きのこの増やし方なんて。魔理沙ったらどうせなら増血剤かなにかの作り方でも研究してくれたらよかったのに。あんな子供のお菓子みたいな弾幕をばらまくんじゃなくて。ところでこのスープおいしいわね。草しか入ってないのに」
「でしょ?いろいろ本を読んで……ああ、でも本当に整理はしなくちゃね。だけど河童の道具とか、どこにどうやって返したらいいのかしら。誰のものだかわからないものがたくさん出てきそうで怖いわ」
「河にでも流しておけば持って行くんじゃない?ああ咲夜、おかわりは沢山ね。ところで天狗、火葬場に来てたって本当?」
「あら、知らなかったわ。新聞の訃報欄にでも載せたのかしら、あなたは見た?」
「人間の新聞は咲夜が今朝買ってきてたわよ。小さく記事になってたわね。葬式がいつで、どうの、とか。」
「ああ、それは人間のやることだから。天狗の新聞はそういえば見なかったわね。パチュリー、あなた見た?」
「いいえ?私はずっと図書館にいたから。だけど天狗自体見なかった気がするわ。レミィ、あなたも見てないわよね」
「そうね……私も……フラン!スプーンを曲げないで」
「でも小さいのよ、おねえさま。これすごくおいしいのにいっぺんにすこししか口に入らないの」
「あなた皿ごと飲み込む気?咲夜」
「美鈴、れんげがなかったかしら。妹様に出してさし上げて」
「ねえ、ちょっと!これが私の耳鳴りじゃなければ、レミィ、あなたプリズムリバー姉妹を呼んだの?」
「あら、どうせなら賑やかな方がいいじゃない」
「私もそう思ったから虫の知らせを昨日頼んだの」
「それは知らなかったわ。誰が来るわけ?」
「さあ……」
「地底の鬼とかも魔理沙と仲がよかったって聞いたけど」
「パチェ、私それは知りたくなかったわ。」
「レミィだって鬼じゃない?咲夜、彼女たちひょっとしなくても玄関を使う気はなさそうよ。音で窓ガラスが破られる前に開けてあげて」

魔理沙のスープを囲んで一晩、妖怪は入れ代わり立ち代わり現れた。
虫の知らせを聞いての者もいたし、単に賑やかだからちょっと顔を出した、というものもいた。
夜雀が歌うのにみんなで耳をふさいで笑い、鬼がスープに合う酒について語るのに耳を傾けたりもした。
博麗神社でかつて夜な夜な行われていた宴会のような空気だった。誰もがお客であり、誰もがこの祭の夜の主催だった。
魔理沙が大好きだったどんちゃん騒ぎ。
笑いすぎて涙を拭いながら、大鍋のスープが皆に一口ずつ味わわれては美味しさを褒め称えられ、次々に匙に掬われて皆の口に、胃に消えて行くのを見守った。

翌週魔理沙の空っぽの骨壷に金平糖を詰めて人間の遺族に引き渡した。納骨はしめやかで、妙蓮寺の僧は深くしみとおる声で厳粛に経を詠み上げた。朗々と通る声が、火葬場の煙突から煙が消えていった時のように空に立ち上って消えていく。
青空の下、壺に納められた金平糖は霧雨家の墓石の中に納められた。彼女の従兄弟だと言う男が線香の束に火をつける。
天狗が来たのか、びゅう、と強く風が吹いた。風に嬲られて真っ黒なスカートの裾がはためく。
不意に魔理沙の手が私を捕まえたと感じた。
なにやってるんだアリス!と軽やかだけれど力強い笑い声を上げてあなたが、風を巻き起こして降りてきて私を捕まえる。
髪を押さえて、吹き散らかされる線香の灰と香りにむせる人間の親族の横で、私は菊の花束から手を放した。
投げ捨てるように花束の所有権を風に明け渡して真っ黒なリボンの端だけをつかまえて、おおきな蝶結びが解けるに任せて

きつい香りの花をばらまいて真っ黒なカチューシャを外して放り投げて頭を振って、ぽかんとしている人間たちをよそに、丘の上から駆け下りる。
かつてしょっちゅう、一番下まであなたと競争した時のように。

変わらない体で。
軽い足取りで。



魔理沙が降りてくるときには必ず風が巻き起こる、っていうのがSo if you care to find me, look to the western sky!って感じですごいかわいいと思った。Wickedすき。

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