2017-09

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魔理沙をスープにするはなし

香霖堂の奥の棚に置いてあった重たいチョコレート色の表紙をした民俗学の分厚い本と、鮮やかなピンク色をした表紙の料理の本を、かご一杯のくるみと、うさぎ一羽とひきかえに貰い受けた。
台所で三本足の丸椅子に腰掛けて両方の本を交互に読む。焼いた骨を噛む風習と、さくさくとしていて苦かったという口述。焼いた仔牛の骨をミルポアという、香味野菜と一緒に煮込んでスープを作るというレシピ。
読み込むうちに午後が過ぎて、夕方になって字が薄暗がりに溶けて霞む。
は、と顔を上げて、引きこまれていた自分に気がつく。
深く、息を吐いて流し台の上に乗せた骨壷を見た。

つ、と足先を床につける。知らず足先は椅子の足元を支える輪に載せていたから、ずっと曲げていた膝がぎちりときしんだ。
立ち上がって、スカートを揺らして流しに近づく。重たい陶器の蓋を開けると、真っ白な骨がすかすかの佇まいで中にてんでんばらばらにおさまっていた。
中の骨には肉などかけらもついていない。白くてかさかさしていて乾いていて、とても料理の本の挿絵に載っているようなおいしいスープの出そうな佇まいではなかった。

玉ねぎ、人参、セロリ、パセリ、セージ、ローリエ。料理本に並べ立てられていた材料の名前を頭の中で数え上げる。
臭みを取るためのローズマリーはいらないわね、と苦笑して骨を指先で触った。手荒く扱えば粉になって崩れそうなほど固く焼き締められた骨。

人間の骨。
じっと眺めていたら軽く頭痛がしてきた。
文字に没頭しすぎたせいで頭が疲れているのだと経験則で判断して、青い色をした箱を開けてチョコレートをつまむ。ミルクの味がする薄い、薄い正方形のチョコレートだ。1枚つまんで蓋を閉めて、箱に箔押しされた銀色の文字をぼんやりながめながらふとまたふたを開けて残りの数を数えてしまう。
魔理沙のくれたチョコレートだ。それが、あと、12枚。

あと12枚。

夕陽の最期の輝きが脳髄にしみるほど眩しくて目を閉じる。それでも眩しくて窓に背中を向けて、ふと目を開ける。
床の上に黒々と自分の影が落ちていた。
ひとりきりの影。
どうにもやさしいめまいがした。
両手で顔を覆う。指の隙間をつめて。まぶたも口もしっかりと押さえて。顔中をふたつの手のひらで覆ってしまう。

魔理沙はいつまでも年をとり続けた。
皺に覆われて軽くなった手が自分の手のひらを押さえたことを思い出す。
おとといの夕方だった。同じように眩しい夕方で、流しの上の窓にカーテンを付けることを考えながら晩ご飯のオムレツに混ぜる彩り野菜を刻んでいた私の手を、包丁を持った右手を、野菜を抑えていた左手を、かつてより軽くなった手がそっと押さえて静止させた。
17の成長期を経て私より背が高くなった魔理沙、ふわふわと長い銀髪をまだ昔と同じように結っている魔理沙が私の項にかわいたくちびるを寄せてくるのを受け入れた。
老人特有の蜜蝋のような香りが鼻腔に届く。溶けた蝋のような、古くなって傷んだ本のページから香り立つような、ひそやかで粘性のある香り。
何も言わなかった。
何も言えなかった。
そっと魔理沙の歯が私の首筋を食んだ。私のいつまでも変わらない肌を。
なにか、言葉を考えた。口に出せる言葉を。
けれど思い出に押し流されて、別れの予感に踏み潰されて、憐憫の情に苛まれて、愛しい気持ちに引き裂かれて、何も。
尽くせるような言葉はもう尽くしてきてしまって、私達の間にはもう何もなかった。
魔理沙の息が喉元をくすぐって胸元に落ちる。

ずっとまほうつかいになりたかった。

何十年も前に聞いた言葉をもう一度脳内に聞いた。
テレパシーのように。

ずっとおまえが

テレパシーが途切れてあなたは私から離れた。静かに。
スカートの衣擦れが遠ざかるのを、まな板に両手をついたまま聞いていた。
あなたは右の臼歯で私の肌を噛んだ。穀物をすりつぶす草食動物の歯で。
肉を裂く犬歯ではなく、決して肌の内側まできりこめないやさしい歯で。

その2日後の朝、隣でうつぶせのままいつの間にかあなたは消えた。
起こそうと思ったらもう息をしていなかった。冷えて固まっていく魔理沙をどうしたらいいのか迷いあぐねて、布をかぶせて人間の里に行った。
慧音はやさしかった。火葬場まで案内してくれて、どうすればいいのかを教えてくれた。
霧雨の娘たち息子たち孫たちは、突然の訃報に戸惑いながらも彼女のために涙を流した。
骨を霧雨の墓に、と請われたが、なんでも何日か過ぎないと墓には納められないらしい。
預けられた骨をどうするか。
壺は空にして返すと最初から決めていた。

骨を台所において居間で眠った。ベッドに入る気はしなかった。
ソファーで眠れない目を見開いて、天井を眺めながらずっと、骨について思いを巡らせた。
スープにしようと思ったのは今朝だった。少し、眠ってから、本と引換にするためのものを捕りに森へ行った。
蓬莱を使って罠に追い込んだ若いうさぎと、人形たちを総動員して集めた一番大きなかごいっぱいのくるみ。
焼いた骨をスープにしたいの、と香霖堂の主人に切り出すと、少し考えて奥の棚から二冊の本を出してきた。
それをうさぎとくるみと替えて、まだ肌寒い朝方の道を朝露で靴を濡らして帰った。
昼が過ぎたのにも気が付かないで読み込んでいた。骨食みの風習や本の中の、妙蓮寺と同じ流派らしい、仏教の葬送のセレモニーの雰囲気。のめりこみながら思い出した、火葬の前に行われた通夜だの告別式だの、馴染まない名前の静かすぎた葬儀の空気、ぞっとするほど寂しい線香の香り。不可思議な風習。菊の、まるで薬のような香りで息が詰まったこと。仔牛の骨を煮込んで作るフォンドボーという名前のスープ。それを使った手の込んだ料理。あれこれが頭の中でスプーンであらかじめかき回した紅茶にミルクを落とした時のように混ざり合う。

舌の上でチョコレートが溶けて唾液と混ざる。くどいほどに甘い味。思い出す。脈のなかった手首。冷たさ。骨のわかるか細さ。皺の寄って骨に貼り付くように薄く、なめし革のように茶色味を帯びてしなやかになっていた肌。脂肪を失って筋ばかりの腕。固く、固くなっていた腕。早くなる自分の息が、あたたかく弾力のある肌にあたって自分の顔にはねかえる。熱い息。

あなたはいなくなる。

忘却を怖れて手繰り寄せた昔の記憶がすでに朧気になっていることに気がついて一層自分の両手に顔を埋める。

あなたはいなくなった。

嘘だ。と自分が言う。嘘じゃないわ、と私が言い返す。そうよ、と理性が加勢する。違うわ!と感情がヒステリーを起こす。
だけど、とすでに頭の中にいる結論が言う。
魔理沙は死んでしまったわ。
そうよ、と荒くなる息を押し殺す。魔理沙は死んでしまった。人間として。人間のまま。年老いて。こんなに軽い骨を残して。

目を開く。
両手を外す。
床の上に私ひとりの影が真っ黒な色をして伸びている。どこまでも。壁につながり、先は暗闇に溶けている。
あなたを悼むためにスープにしようと思った、その気持を取り戻す。
咲夜よろしく真っ白なエプロンをつけた。後ろでひもをきりりと結ぶ。
魔理沙の骨を抱えた里からの帰り、リグルに金貨を一枚払って虫の知らせを依頼した。
加えて、人の噂の足も速い。明日の朝方にはきっともうあなたの訃報が幻想郷中で飛び交っている。
爪先立って壁に下げてあるセージとにんにくを降ろす。庭に出てパセリをエプロンいっぱいに摘んでくる。戸棚を開けてタイムの瓶をとる。蓬莱が人参と玉ねぎのどろを落として刻む。上海が湿地から香の強いセロリをとってくる。乾いたローリエを瓶から取り出してまな板の上に並べる。
肘がぶつかりそうな場所に唐草模様のあなたの骨壷がある。
夕陽が最後の輝きを台所に落として消えていく。ランプに火を入れるとあかるい光があなたと私を照らした。

小さな花束を作るように葉は外に、きれいにまあるくまとまるようにハーブを束ねて、いくつもいくつもブーケを作る。
菊や百合より香りの強い、あなたを美味しくするための私の献花。
束ねたハーブを人形たちに渡して、ブーケに思い思いのリボンをかけさせる。
その間に、刻んだにんにくと玉ねぎに人参、セロリを鍋の中でじっくりと炒めて色づける。
次は、と考える私の前で上海が料理の本を開く。薄い、お菓子のようなピンク色に白で風になびくリボンのような文字が踊る、絵本のような本に描かれた、冒険譚にも似たスープの作り方。
私は鼻歌を歌いだす。足取り軽やかにまな板と鍋の間を行き来する。
ワルツのターンのように肘をはっておたまでスープの表面をくるりと愛撫してあくを掬い、タンゴの足取りで流しに向かう。

海を探したこと、温泉に向かおうとして迷子になったこと、パンケーキに蜂蜜かメープルシロップかで喧嘩をして一週間口をきかなかったこと、神社ではち合わせて気まずかったこと、そうしたら霊夢がパンケーキに甘いものをかけるなんて邪道、あれはあれだけでも十分に主食、なんてことを言い出して二人で笑ってしまったこと、冬に魔理沙の家に泊まったら煙突がちゃんと塞がっていなくて夜中に煙突から雪の塊が落ちてきて飛び起きたこと、暖炉の前で吸血鬼の食欲と脳科学について議論したこと、にとりの実験道具を『借りてきた』あなたが私の家で爆発を起こして、だけどあっけにとられすぎて怒るより先にお腹が痛くなるほど笑ってしまって、それに調子に乗ったあなたに腹を立てて思わずグリモワールで叩いてしまったこと。
そして、たくさんのキスと抱擁。いくつもの夜。いくつもの朝。いくつもの真昼。いくつもの夕暮れ。

泡が弾けるのと同じ速度で思い出が巻き戻っては私を取り巻く。幸せな湯気の魔法。金色の、あなたの髪と、あなたの魔法と同じ色のスープにぱらりと塩をふる。
くつくつとおいしい匂いを振りまいてあなたの骨が鍋の中で踊る。
すっかりぐずぐずに蕩けさせてみえなくなるまであなたの骨を私は煮てしまう。
途中から角切りにしたじゃがいもを足して、きゃべつを足して、吸血鬼には文句を言われるようなおいしいおいしいスープに仕立て上げる。

翌朝、湯気の立っている鍋を毛布で丁寧に包んで、温みを抱きしめて紅魔館へ向かった。
あなたの最期につかっていた毛布。顔に風が当たるのを避けるためにうつむいて胸元に抱きしめた毛布に顔を埋めると寝起きのあなたの匂いがした。

門番は門を開いて待っていて、私が降りると、門を放棄して私と一緒に館に向かった。
玄関には咲夜がいて、私から毛布ごと鍋を受け取った。
静かに頭を下げる仕草に、やっぱりわかっていたのね、と思って微笑んだ。
「温め直すのに少しお時間を頂きます」
「そうね。それに、朝食と言うよりは夕食にしたいの。内輪だけの晩餐会と思って。」
「ええ」
短い会話の後、大図書館に降りる。
パチュリーは私の方を緩慢に向いて、今晩ね、と念を押す調子で尋ねた。
ええ、と私は小悪魔に上着を手渡して頷いた。
どこからともなく咲夜が現れて引いてくれる椅子に腰掛ける。
「妹様は大丈夫かしら」
「お嬢様からお聞きになられて……非常にはしゃがれて寝かしつけるのに今朝は苦労しました」
「悪いことをしたわね」
咲夜の淹れてくれた紅茶が昨日のチョコレート以来何も食べてない胃に落ちていって、ああ、と内臓の存在を実感した。
夕方まで紅魔館の台所でスープは煮詰まる。より濃厚に。よりおいしく。ほっぺたが落ちるほどまろやかに。

「そういえば本を返してもらわなきゃね」
「あら、結構取り返したんじゃなかったかしら?ほら、魔理沙がうちにきて咲夜に捕まってる間に妖精メイドを総動員して取り返した時があったじゃない」
「あの時ね!間違えて魔理沙の本まで図書館に持ち帰ったんでしょ?帰ったらうちに何もなかったって」
「天狗が写真を撮りに来てたわよね。本当にあれだけ散らかってた家になにもなくって!いなごにでも襲われたみたいだったわ。笑えるほどすっからからんで!すごかったわよねえ」
「おねーさまはくだらない本が増えたって嫌な顔をしたわ」
「当たり前でしょ!きのこの増やし方なんて。魔理沙ったらどうせなら増血剤かなにかの作り方でも研究してくれたらよかったのに。あんな子供のお菓子みたいな弾幕をばらまくんじゃなくて。ところでこのスープおいしいわね。草しか入ってないのに」
「でしょ?いろいろ本を読んで……ああ、でも本当に整理はしなくちゃね。だけど河童の道具とか、どこにどうやって返したらいいのかしら。誰のものだかわからないものがたくさん出てきそうで怖いわ」
「河にでも流しておけば持って行くんじゃない?ああ咲夜、おかわりは沢山ね。ところで天狗、火葬場に来てたって本当?」
「あら、知らなかったわ。新聞の訃報欄にでも載せたのかしら、あなたは見た?」
「人間の新聞は咲夜が今朝買ってきてたわよ。小さく記事になってたわね。葬式がいつで、どうの、とか。」
「ああ、それは人間のやることだから。天狗の新聞はそういえば見なかったわね。パチュリー、あなた見た?」
「いいえ?私はずっと図書館にいたから。だけど天狗自体見なかった気がするわ。レミィ、あなたも見てないわよね」
「そうね……私も……フラン!スプーンを曲げないで」
「でも小さいのよ、おねえさま。これすごくおいしいのにいっぺんにすこししか口に入らないの」
「あなた皿ごと飲み込む気?咲夜」
「美鈴、れんげがなかったかしら。妹様に出してさし上げて」
「ねえ、ちょっと!これが私の耳鳴りじゃなければ、レミィ、あなたプリズムリバー姉妹を呼んだの?」
「あら、どうせなら賑やかな方がいいじゃない」
「私もそう思ったから虫の知らせを昨日頼んだの」
「それは知らなかったわ。誰が来るわけ?」
「さあ……」
「地底の鬼とかも魔理沙と仲がよかったって聞いたけど」
「パチェ、私それは知りたくなかったわ。」
「レミィだって鬼じゃない?咲夜、彼女たちひょっとしなくても玄関を使う気はなさそうよ。音で窓ガラスが破られる前に開けてあげて」

魔理沙のスープを囲んで一晩、妖怪は入れ代わり立ち代わり現れた。
虫の知らせを聞いての者もいたし、単に賑やかだからちょっと顔を出した、というものもいた。
夜雀が歌うのにみんなで耳をふさいで笑い、鬼がスープに合う酒について語るのに耳を傾けたりもした。
博麗神社でかつて夜な夜な行われていた宴会のような空気だった。誰もがお客であり、誰もがこの祭の夜の主催だった。
魔理沙が大好きだったどんちゃん騒ぎ。
笑いすぎて涙を拭いながら、大鍋のスープが皆に一口ずつ味わわれては美味しさを褒め称えられ、次々に匙に掬われて皆の口に、胃に消えて行くのを見守った。

翌週魔理沙の空っぽの骨壷に金平糖を詰めて人間の遺族に引き渡した。納骨はしめやかで、妙蓮寺の僧は深くしみとおる声で厳粛に経を詠み上げた。朗々と通る声が、火葬場の煙突から煙が消えていった時のように空に立ち上って消えていく。
青空の下、壺に納められた金平糖は霧雨家の墓石の中に納められた。彼女の従兄弟だと言う男が線香の束に火をつける。
天狗が来たのか、びゅう、と強く風が吹いた。風に嬲られて真っ黒なスカートの裾がはためく。
不意に魔理沙の手が私を捕まえたと感じた。
なにやってるんだアリス!と軽やかだけれど力強い笑い声を上げてあなたが、風を巻き起こして降りてきて私を捕まえる。
髪を押さえて、吹き散らかされる線香の灰と香りにむせる人間の親族の横で、私は菊の花束から手を放した。
投げ捨てるように花束の所有権を風に明け渡して真っ黒なリボンの端だけをつかまえて、おおきな蝶結びが解けるに任せて

きつい香りの花をばらまいて真っ黒なカチューシャを外して放り投げて頭を振って、ぽかんとしている人間たちをよそに、丘の上から駆け下りる。
かつてしょっちゅう、一番下まであなたと競争した時のように。

変わらない体で。
軽い足取りで。



魔理沙が降りてくるときには必ず風が巻き起こる、っていうのがSo if you care to find me, look to the western sky!って感じですごいかわいいと思った。Wickedすき。
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ねねね

アリスが髪を切った。
それだけで私は随分動揺した。
ふわふわと内巻きの髪が首筋で揺れている。
くすぐったくないか、と尋ねたら、至極真面目な顔で落ち着かないわ、と返ってきた。
じゃまにならないように耳の後ろに流した細い金髪が渦のようにくるんと巻いている。
本を読み進めている横顔をそっと伺った。白金の巻き毛が後ろ頭のまあるい骨格をぐるりと縁取っている。ページをめくるうちに内容が難解なのか、首を傾げながら体が右へと傾いて、耳の上から細い巻き毛が一房、顔の横に落ちる。
一房落ちた巻き毛は、細い細い飴細工を伸ばしたお菓子みたいに、もつれていて、先がくるんと巻いていて、それをアリスの少し爪が伸びた指が持ち上げて耳の後ろに引っ掛ける。
なんだか呆然としてしまった。
知らない女の子のようだ、と思う。短くしたせいで癖がはっきりと出た巻き毛には妙な色気があって、まるで結婚でもして色気を磨いた映画女優のような大人びた、少しくすんで疲れたようなけだるいような、一挙手一投足にこちらが息を詰めてしまいそうな雰囲気を醸し出しているのに、むきだしの耳やら仕草やらがむやみに幼い。熱心に本を読む横顔は、いつも伸ばした長さの分だけ重みを持って、癖を押さえてゆるやかに波打ちながらもそれなりにまっすぐ伸びた金髪に隠されていた。それが丸見えになって、熱中するあまり軽く尖らせた唇がももいろにぽってりしているのまで丸見えだ。
頬がまるで化粧でもしているようにまあるく色づいている。内容に納得がいかないのか、更に唇が尖って、触れられるのを待っているように突き出される。やわらかにけぶる眉が寄せられる。耳の後ろの首筋を撫でる巻き毛を、爪の先でいじって、指に巻き付ける。くるくる、と回される指にやわらかそうな髪が絡み付いて、下に引っ張る仕草に合わせてふわりと弾力のある様子で元に戻る。
その繰り返しをぼうっと眺めて、ふわふわしていそうだな、と考えながらアリスの下腹に顔をうずめて深く息をした時の視界を思い出してしまって赤面した。
アリスの太ももの間に体を割り込ませて、ふわふわとした毛に鼻をうずめて笑うと、目だけで怒りながら口元は猫のように笑って満更でもない顔をする。私の巻き毛に指を絡めて、何が楽しいの、と拗ねた声で言いながら私の髪に手櫛を差し入れて愛撫するように梳かす。

その時の感覚を思い出して、顔が緩んだ。そもそも私は、触られるのが好きだ。触るのも好きだ、から躊躇しない。誰の背中でも叩くし、誰の鼻でもつまむ。アリスは距離というものを、まるでテリトリー持ちの猫みたいに気にする。顔を寄せると逃げたがるし、隣に立つと必ず一歩離れて距離を取る。私はそんなもの気にしない。誰でも歓迎だ。足を踏まれたならどつき返してやるまでのことだからだ。
けれど、アリスはそうじゃない。まるで体中に猫のひげが生えているんじゃないかと思うくらい、神経質だ。だから吸血鬼と存外うまくいくんじゃないかと思う。奴らはどこにでも、招かれないと入れないからだ。

と、そんな事をあぐらをかいた膝の上に肘を乗せて頬杖をついて、足の間に乗せた本そっちのけで考えていたらいつの間にかアリスが消えていた。お、と若干びっくりしてさっきまでアリスが座っていたダイニングテーブルを見つめる。
「なにびっくりしてるの」
「おお、なんという不覚だ」
声のした方を向く。アリスが棚の上から降りられなくなっていたらしい人形を助けだしていたところだった。
踏み台の上に爪先立って、人形の脇の下に両手を差し入れて抱き上げている。まるで子猫を捕まえるようだと思った。
あるいはそれこそ子猫の救助だ。
感嘆の声こそあげてはみたが、まるで何かの台詞を読み上げたように空々しく響いた。
「それは何からの引用?」
同じ感想をアリスも持ったらしく、人形を床の上におろしてやりながら軽く問いかけてくる。
「グリモワールさ。私のな」
「嘘ばっかり」
床の上におろしてもらった人形は、スカートをちいさな手ではたいてから、ふわふわした甘やかなスカートの裾をちょっと持ち上げて、一足前に出した左足の真後ろに右足を直角につけて膝を曲げる、貴婦人のようなおじきをしてから隣の部屋へとちょこちょこと駆けて消えた。
今のもアリスだろうか、と思いながら小さな後ろ姿を眺める。ここの人形はたまに、アリスが操っている人形が更に操っていたり、何か一定の律に従って動いていたりするから全てがアリスのコントロールなのかよくわからない。今のも、誰かの真似をするように命じられた人形が勝手に学習をしたものかも知れないし、単なるアリスの遊び心なのかも知れなかった。
ここの人形はアリスと同じで、よくわからない。
「なあ、髪、どうしたんだ?」
「切ったのよ」
「見ればわかるさ。なんでだよ」
「鋏よ」
本人はすまし顔だ。アリスが冗談を言うのは珍しかったし、単刀直入を好む彼女があえてこんな言葉遊びのような迂遠な応答をするのは変を通り越して妙だった。なんだ、と勘ぐる。
「鋏か。てっきり剃刀でも使ったのかと思ったぜ。失恋でもしたのか?」
「そうね」
指先が首筋に這ってくるくると巻いた髪を指に絡めて遊びだす。やわらかそうな巻き毛。指にいじられてふわふわと揺れる和毛。ずっと眺めていると、毛糸を目の前で揺らされる猫のようにうずうずしてしまう。いたずらに髪を揺らすその手を捕まえて生え際にくちづけたいとそう思い出す。
視線を彷徨わせての長い沈黙の後、アリスは笑う。床に座る私を見下ろして、幼稚園児の子供に意地悪を言う機転のきいた母親のように。
「そういうことにしておきましょうか」




理由なんてないのよ。なんてかわいいひと

FMP(アリス)

日曜日、週末の終わりにあなたは私の家に押しかけた。
私は人形のための家具の枠組みを作り終えてやすりをかけているところだった。
あなたの溜息で机の上の木屑が飛んであなたに気付いた。
黒目に星を映してあなたは私を見た。

かつてあなたは私を海に放り出された花束のようにばらばらにした。
やわらかい何度もにもわたる揺さぶりで私はデイジーの花びらがまったく散ってしまったように丸裸にされた。
夏が終わり、短い秋の間あなたはしじゅう空を飛び回っていた。高い空に舞い上がっていくあなたを私は何度も見送った。
冬が来てあなたは私の家に閉じ込もった。私たちは毎晩大鍋でお湯を沸かして暖炉の前で足を絡めた。
あなたは冷え性で氷のような足をしていた。いつだって。私はあなたの指先から逃れようと身を捩って、私たちはきゃあきゃあと悲鳴をあげながら戯れあった。腰骨と腰骨がぶつかって甘い痺れが走る時、暖炉に欠けた大鍋の中では泡がぷつぷつとはじけていた。くたびれきってしまうまでふざけあった後は炎の前でまどろんで、それからお茶を入れてたわいない話をした。
有機物理学だとか、吸血鬼の空腹中枢の在処に準じる精神論だとか。
私達の意見はいつでも若干の食い違いを見た。それが逆に私をほっとさせた。私たちの意見の大筋は二人の体のように寄り添い、けれど致命的なところで交わらなかった。話の種は尽きず、冬じゅうをわたしたちは暖炉の前で過ごした。

春になってあなたは出ていった。月曜日のことだった。
火曜日、私は解放された気持ちで部屋中の空気を入れ替えて、家にあるだけすべてのリネンを洗って干した。
シーツに、枕に、ソファーカバーに、タオル、その他もろもろのすべての布を。
そして人形たちを磨き上げ、階段という階段、床という床にワックスをかけた。
それから家中の模様替えと大掃除を始めた。まるまる三日間をそれに費やして、家中が冬とはまるで違ったようにしつらえられてやっと私は深く息を吐いて、前とは全く違う部屋に移されたベッドに潜り込んだ。

土曜日、私の目覚めは最悪だった。起きた瞬間から頭痛と目眩がした。人形に何かをさせるのも億劫で、布団の中に潜り込んだまま自分の枝毛を探して一日を過ごした。もちろん枝毛なんて一本もなく、ただ時間を無為に過ごしただけに終わった。
一晩中窓を開けたままなんとか落ち着いた呼吸をしようとしてそわそわし、大鍋にお湯を沸かしては火を止め、また沸かし、茶をいれては冷まして捨てて、朝方やっと人形のための家具をうっちゃりっぱなしにしていたのを思い出して机についた。

日曜日の朝、やっとのことで家具作りに集中し始めて時間を忘れた。

私の後ろで大鍋が吹きこぼれていたと、あなたがため息をつく。
目の前の木屑が吹き飛ばされて、目を覚ますように我に返った。
黒目に星を映してあなたが私を見た。

大鍋が吹きこぼれて燃え盛る火が消えるじゅっという音がする。
私のくちびるから秘密がこぼれた。




シャンソンみたいなアリス。右の耳たぶに星。

噛み癖ある魔理沙と不感症アリスでマリアリ

自分の唾液が肌にできた窪みに溜まるのをただ眺めながら開いた口の中に空気が入ってきて乾くのを感じる。
のどが渇いていたせいか唾液は長く糸を引いてから、ぷつんと切れた。
アリスの肌に蜘蛛の糸のように唾液の糸が貼り付く。
「痛いか」
低く尋ねて、今の自分はまるで幽香を腐らせたような生き物に見えるだろうな、と思った。
「痛いわよ」
ベッドについた両腕の間に、人体模型のように横たわったアリスが言う。
「そうか」
ほっとして、腰骨に指を滑らせる。
熱くならない肌を舐めて、噛んで、だんだん、萎えていく。
「さわって」
アリスの指は冷たくて、ぬる、と入ってくると妙な異物感があった。日向で解けたバターに、日陰に置いておいたバターナイフを入れているようだと思う。まとわりついた粘液をアリスがシーツで拭う。
汚いと思われていないか、などと浅ましく怯える自分がいる。
気がつくと口を開けてアリスの肉を挟んでいる。吸ったり舐めたりではなくて、臼歯で、狐がにわとりを捕るときのように深く、深く咥え込んで何度も咥え直してはきつく噛んで噛み跡をつける。肩だとか、二の腕だとか、くるぶしだとか、首筋だとか、内ももだとかに。

アリスは痛がらない。自分の、八重歯になっていて人より鋭い犬歯が深い窪みを残しても声すら立てない。身も捩らない。
まるで逃げようとしない。押し倒しても。噛んでも触ってもぴくりともしない。ただ、そこに横たわって、まばたきをしたりして、天井を見たりしている。

好きかと問えば好きだと答える。
脱がせるときには私のブラウスに手をかけて、ボタンを指先で引っかいて外して、服の下に潜らせた手を背中にかけて引き寄せたり、そういうことだってする。してくれる。
だけれど脱がせてしまうともうそこにあるのは荒涼とした砂漠のような無反応で、悲しくなって寂しくなる、と訴えても磨かれたガラス玉のようにぴかぴかした潔癖な目が惨めな自分を映して、終わる。
そういうことがよくわからないのだという。
感じる、とか、恥ずかしさを押し殺して話した時、少し首を傾げてしばらく考えた後、そう言った。
噛まれた後がじんじんする、とか、後で痒くなる、とかはわかる。けれど、背中を触られてぞくぞくする、とか、肌を合わせて興奮する、とか。そういう感覚がわからない、と。
初心なのかと最初はそう思っていた。そういうことを経験したことがないからどう反応したらいいかわからない、感覚について言葉にうまくできていないだけではないかと。けれど違った。

アリスはそういうことに関して魚よりも不感症であった。いくら触っても戸惑ったような顔をする。体もちっとも反応しない。
私一人ばかり興奮して終わる。
それでいいのか、と泣きながら尋ねたりもした。事が終わった後、不意に気持ちが高ぶってむせび泣いた勢いで。
アリスは私に乱された衣服を肩に引っ掛けたまま、ベッドの上に座り込んでなんだか呆然と私を見ていた。
無防備で、暗闇に先端がももいろの乳房が光るように浮かび上がって、おそろしいほど扇情的な姿だった。
「だけど魔理沙は気持ちいいんでしょう」
わからない、という壁の向こう側で清潔なアリスが私を許す。
とてもたまらなくなって顔をおおった私の腕を掴んでアリスが私を引き寄せた。
指が肌に当たる。肌の下の脂肪を感じ取る。その柔らかさ。本来なら敏感なはずの先端に私の指が当たる。

気付いた時には噛んでいた。襲いかかりながら、何故かレミリアを思い出した。
ぎゅう、と噛むと、アリスがそこにいる、という感じがした。痛いわ、とアリスがつぶやいて、痛いか、と咥えたまま呟いた。痛いわよ、と私を安心させるようにアリスが言った。なおも深く咥え直すと、アリスの肌を私の唾液が伝った。
だらしなくシーツの上に唾液を滴らせながらアリスの首筋を咥え込んで頭を擦り寄せたら、寂しさが少し癒えるような気がした。

山の中に深い淵がある。昔はそこに大きな柳が生えていたのだという。
それが、寛永の頃に大雨で流されて出来たという淵だ。大岩の下にぽかりとえぐれていて、夏の晴れた日でも陽が届かない。近づけば濃い水の香りがして、緑とも青ともつかない水が涼々と湛えられてそこにある。
雨の日にそこまで散歩をするのが好きだった。傘をさしてぬるぬると滑る白い岩の上を淵の方まで下っていく。
大岩の下は半球状にえぐれていて、淵のほとりまで近寄れば雨宿りができる。
そこまで歩いて、傘を畳んで、雨の音、匂いを全身で感じながらグリモワールをぱらぱらと読む。
静かで、落ち着いて、雨でどうにも部屋の中が暑くて集中できない時の気分転換には最適だった。
今日もそうしようと思って、人形の頭蓋に塗るパテを捏ねていた手を止めて家を出た。ぼうっとした頭が冷たい、水分をおおいに含んだ空気を吸ううちに冴えてくる。軽い頭痛も消えてきた、と思って淵に向けて下っていく中、ぱしゃん、と水音がした。
ぽつぽつと降る雨が落ちた音ではない。なにか、水風船でもはじけた時のような音だった。
傘を傾けて淵の方を覗く。
緑色の目がぱちりとこちらを見上げたのと視線がぶつかって、とっさにお互いがどぎまぎする。それで、お互い似たものだとわかってふと破顔する。アリスは軽いトロットで淵までの道を駆け下りた。
傘を畳んで岩の下に素早く入る。
「菜種梅雨ね」
「へえ、下の沢にはもう咲いているのか」
「満開よ。上ではまだなの?」
見た限り彼女は河童に見えた。山の妖怪だ。人喰いの妖怪だが、こちらはもう人間ではなくて魔法使い。向こうもすぐにそれをわかったと見えて、かけた声に気軽に応じてみせた。
「まだだね」
答えて、鼻の上に皺を寄せる。
「あら、嫌そうね」
「あの黄色は目に毒でね、見ただけでくしゃみが出る」
「わからないでもないわ」
川沿いに煙のようにもうもうと咲き誇る黄色に思いを巡らせて肩をすくめる。
霊夢なんかは食べられるからと好んでいるし、アリスは川のそばに住んではいないからたまに見かけて春だと思う程度だが、毎日、雨でも閉じないあの黄色に囲まれていては確かに辟易するかもしれない。
「人形か、あれ?」
「ええ、そうよ」
気づくと後ろについてこさせていたオートマタが泥道をえっちらおっちら降りてきていた。指先を一振りして上海と蓬莱を助けに行かせる。雨の日の二足歩行はまだ難しかったかもしれない。関節に泥が詰まっていないかしら、と苦く思いながら運ばれてきた人形を抱きとめる。
「面白そうだな」
「そう?」

中のぜんまい仕掛けをおおいに面白がった彼女は河城にとりと名乗った。
雨の日には皆と浮かれて大騒ぎをするのが定石なのだが、たまに一人になって次の発明について煮詰めたい時などにココに来るのだと。
次に会うときには今度はにとりの発明を見せてもらう約束をしてその日は別れた。
帰り際、次の雨の日が待ち遠しい自分を見つけてアリスはなんだか面白くなった。


失速ー。したのでおしまい。

お前の五分が私の価値(マリアリ)

頬が赤い。真っ白な中にまあるく、赤い。
それをツバメの頬のようだと思って魔理沙は、首を傾けて本を流し読みながらアリスを眺めた。
アリスは腕まくりをして、まっしろな肘までの腕を空気に晒して洗い物をしている。
流しの上に横長に窓があって、そこが今は開いているから、頬が赤くて、呼吸のたびに唇からこぼれる息が白い。
手が、冷たそうだと思った。
「アリース」
背もたれに体重をかけて、ぎ、と椅子の前脚を浮かせる。机の天板の裏に膝を当ててバランスを取りながら、呼んだ。
振り返らないままなに?と返事をする。
「窓、さむい」
「だけど、空気を入れ替えないと」
アリスはこちらを向かない。話す言葉に合わせて、白く空気が染まる。
「頭がくらくらするわ」
頬に真っ赤に血の色が透けている。
「だけど」
「洗い物してる間だけよ。もうすぐ終わるわ」
「……へーい」
本に栞がわりにスプーンを挟んで、椅子をもとに戻す。冷め切った食後のお茶に口をつけながら、水色のスカートの上、くたりと結ばれているエプロンの白い紐を眺める。紅魔館のメイドのリボン結びとは違う、細くてくたりとしたアリスのエプロン紐。
窓が開いていればきっともっと手が冷たいと思うから、は余計なお世話だ。寒ければアリスは窓を閉める。だからこれは自分のおせっかいで自己満足だ。アリスのしたいことを、自分の無意味な安心の為に妨げる。
だって窓を開けようが閉めようが水は冷たい。本当にアリスを思うなら黙ってやかんを八卦炉にかけてぬるま湯でも洗い桶に足してやればいいのだ。アリスは燃料の無駄だとか色々言うだろうが、それは魔理沙の問題の範疇だ。共同の燃料を浪費したわけではないのだから、純然とした思いやりになる。
そんなことをぐるぐると思いながら砂糖の入った紅茶を飲み干す。熱の抜けて香りのとんだ紅茶の後味はただ渋かった。
口の中に茶渋を含んでしまった気持ちで、カップの底に溶け残った砂糖のジャリジャリを眺める。熱が飛ぶと飽和量も減るのだった。苦く思い出した口の中で、砂糖の甘味と渋みが混じって、何故か渋みより甘みが気持ち悪い。
「終わったわ」
ぽつんと呟いてアリスがばたんと窓を閉める。
あぁ、うん、と生返事をしてカップを押しやる。机に突っ伏した目の前に、赤い指。
「ちょっと、飲み終わったなら先に言ってよ」
ソーサーごと取り上げる手を上から押さえた。冷たかった。ぎゅう、と握る。
「なによ」
ソーサーを机に置く手を引っ張って、暖炉からの熱でのぼせた頬に当てた。目を閉じる。
「気持ちいい」
「……あったかいわ」
問いかけのつもりではなかったが、問いかけと取られたらしい。小さく言った後、ふ、と笑いがほころぶ気配がした。
「魔理沙、なんだか熱のある子供みたいよ、あなた」
んん、と適当にくぐもった返事をして、アリスの手を捕まえたままおでこを机に当てる。昼ごはんの残りのパンくずが刺さった。ひょっとしたら朝のかも知れない。机の掃除を自分に任せて、さっと食器を重ねて立ち上がってしまうのがアリスだ。
「んうーーー」
いやいやの仕草で首を振って、アリスの手に唇を当てる。
視界の端に干からびた布巾。昨日夕食の前にアリスが机を拭いて以来不動の布巾。
結局アリスは一人で暮らしていて、自分はその生活範疇に存在しているだけ。
「アリス」
「なによ」
こうしている間にも多分時計を見ている。定刻になれば離してちょうだいと言ってちょっと、怒る。
アリスが他人に頼むのは、別にしてくれないならそれでもいいけどしてくれたら嬉しいことだ。
誰にでもそうだ。
「明日はパチュリーのところに泊まるから」
晩御飯はいい、と最後だけ小さい声で言った。
「そう?」
うん。答えてまた顔を伏せた。何か、言われるのを待って耳を澄ませる。遠くからちくたくの後、ぼんぼんの音。
「魔理沙、1時よ」
「うん」
知ってる。
アリスは私を置いていくんだ。
「心配しなくても」
冷たい手が自分の手の下で抵抗を始める。温まって、指先まで血が通う前に。
頬をなぞって、耳をやさしく撫でて行ってしまう。
「焦らなくても」
いずれ、あなただって食事がいらない生き物になれるわ。溜息によく似た囁きを聞く。それは自分の頭の中で作り上げられた願望の声かもしれない。アリスの姿をした理想かも知れない。

昨日、また術式を失敗した。
自分の思いつきが最近うまく形にならない。
机の下の左手が、エプロンのポケットの中の八卦炉を握り締める。
「アリス」
お前にやさしくしたいよ。
思うことが苛立ちに繋がって、なんだかあんまりにも情けなくて喉に詰まった。
お前の名前に続く何もかも、言葉にならないから、ただ名前を呼ばれただけのアリスが冷たい指で耳たぶを撫でる。
「なあに」
なんでもないよ。頭の中で私は返事をする。
「なあに、魔理沙」
私の髪を指先で梳いて撫でながらアリスはただとろとろと優しい声で言う。
だけどあと5分も待てないんだろう。
1時を5分過ぎたらおまえは研究室という名前の二階に戻ってしまう。
そして私は勝手に自虐で惨めになるんだ。

「すきかもしれない」
「私はすきよ」
あなたのこと。きっぱりと言って、さあ、お前は出て行ってしまう。
私のいる暖かい部屋から。水仙の活けてある明るい居間から。

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